宮崎と言って思い浮かぶものと言えば、一般的には東国原氏、あるいはマンゴー、あるいは高千穂なのかも知れない。
ただ、サーフィンを少しでもたしなむ者にとって宮崎とは、最高の波がブレイクするの国内有数サーフィン天国のこと。
小生はそんなサーファー憧れの地・宮崎へ、静岡からロングドライブを経て、向かったのである。
そんな宮崎へサーフトリップ、と聞けば相当なサーフィン上級者の話かと思われるかも知れない。
あるいは毎年宮崎に通い詰めているプロ選手の話かと思われるかも知れない。
が、何を隠そう小生はサーフィン歴半年のド素人である。サーフィンについての技術的な知識などは皆無であり、もっぱらYoutubeのハウツー動画を見つつ、暇を見つけては近くのサーフスポットで波に揉まれているのが現状である。
ただ、どうやらサーフィンというのは、そんなド素人でさえも飲み込んでしまう魅力を持っているらしい。
これまで幾度となくサーフィン好きの友人からは誘われてきたのであるが、頑なに断り続けてきたのは理由がある。
それはやはり、ビーチギャルが見守る中、よく日に灼けた熟練者が華麗に波を乗りこなす一方、すぐ横で自分はまるで死んだ魚の腹のように白い肌で波に揉まれているという、この脆弱なメンタルでは到底耐え切れそうにない悲惨なイメージが想起されること。
あるいは、上達するまで長い時間がかかり、それまでの時間とエネルギーの投資にメンタルだけでなく、肉体的にも耐えきれないのではないか、といった懸念からである。
しかし、たまたまサーフィン好きの女性と結婚した私の運命であろう、これまたひょんなことから、
長年拒否し続けてきたサーフィンというものを体験することになってしまった。
そしてそこで知った現実というのは、私のイメージとは随分違っていたのである。
まず、ビーチでギャルが見守っているような海水浴場では、ほとんどサーフィンをすることがない。
もちろんそういう場所もあるが、サーファーなら誰しも、少しでも人が少なく、ゆったりとサーフィンが出来る場所を目指すのであるから、ビーチギャルの視線に対する強い羞恥心は、現実にはそもそも発生しにくいのである。つまり、そんな緊迫した状況が生まれるとすれば、そのサーファーが強い下心を持って意図的に海水浴客とサーファーで混雑するビーチに向かったか、あるいは自宅からのアクセスといった何らかの地理的制約があったかのどちらかであろうと思われる。
サーフィン歴半年のド素人の感想ではあるが、サーフィンとは極めて男性比率の高い遊びであって、たとえどんなド素人であったとしても、女性の視線によってメンタルをやられる心配は無いと思われる。
次は、上達するまでに時間がかかり、それまで延々とサーフィンを楽しめないのではないのか、という点についてであるが、これも半分は正しかったが、半分は間違っていた。先述したように、ひょんなことからサーフィンを体験した1日目から、思いのほか私は楽しんでいたのである。うつぶせにボードに乗って、波の勢いで前に進むだけでも、見た目以上にスピード感があり、非日常を味わえた。さらに、そうやってボードに寝た状態で進むだけでも、手で水を掻いたり(パドリング)、重心位置を調整したり、いくつかの動作を連続してこなす必要があり、試行錯誤している内にあっという間に時が過ぎているのだ。もちろん、海で泳ぐことにそもそも魅力を感じないといった方は別としても、海で泳ぐことが心地よいと感じる方であれば、恐らく誰しもが1日目からサーフィンの楽しさを垣間見ることはできるのである。
ここまで書いておいて今さらではあるが、サーフィン歴半年のド素人がサーフィンの魅力を語ったとしても、そもそも限界はある。ただサーフィンという遊びが、イメージや見た目とは違って、実は初心者にとっても楽しむことのできる敷居の低い遊びであるということは、間違いないようだ。